臥龍桜

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3.臥龍桜

桜の里飛騨一之宮町のシンボルとして、国指定天然記 念物「臥龍桜」があります。
樹種は江戸彼岸桜で、樹高15m、枝張29m、目通りの 周囲は7.3mあり、推定樹齢は一千年余です。この桜は、 幾度の生命危機を懸命な修復事業で乗り越え、現在、復 活した壮大な姿で人々を楽しませてくれます。この姿は、 龍が臥している姿に似ていることから「臥龍桜」と名付 けられています。

※臥す(ふす):横になること。
※目通り(めどおり): 目の高さのこと。具体的には、地上から120 cmの高さのところをいいます。

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<内容>
あーっと、樹齢はあの1100年。だから、すごいなぁと思うけども、まぁとにかく1100年だわね。んで、その間いろんなことがあったんだけども、まぁ特に台風にも耐えながら、あのーなんとか今んとこ元気に咲いておる。で、えー何やったやなその、今の2番目の由来ね。臥龍桜の臥というのは臥すということは寝るということだ。龍が寝ている姿に見えるので、臥龍と。んー、本当は臥と読むからりょうと画竜点睛のりょうと読ませたいんだけど、文化庁の方へ臥龍というふうにして出してまったので、まぁそのまま臥龍、固有名詞で臥龍桜というふうになっとる。まぁこれはこれでいいんだろうと思うけども。で、これは新しい名前なんだ。で、この高山線がちょうどここを通っとる、高山線があのー通った頃、昭和8年から工事して、あの7年頃からずっと工事して、8年9年に完成したんだけども、そん時にここトンネルをこう作る時に高山線トンネル作る時に、全国からいろんな人がこう集まって、こうふで助けに来てくれたんだ。家族連れで。ほしたら、その若い人ももちろん、きれいな女の方もまぁみえたんだけども、村の若い衆が、当時の青年団が、まぁ17・8くらいの青年団。あのー、みんなトロッコ乗って向こうから、よそから来た人がだぁーっと桜見に来んだよ。4月になると。ここへ。線路通るから。だぁーっと。して、やぁーいやぁーいとやっとるんだ。ほうすと、あの村の衆は若い衆は何かしょぼしょぼっとして、こんなしてそれを見とるわけだ。桜見ずにそっち見とんだよ。で、あるその若い者は、この寺の和尚、当時の20代目なんだ。私は25代目、あ24代目だけども、25代目のその大正、おー昭和とおったあー方に20代目どうせん、大勝道泉という和尚がおんだ。おったんだ。その和尚を連れてきて、もちろん妻帯してない一人な者なんだけど、それを連れてきて、「和尚。これはちょっとみんなの前で良い名前を付けよ」ってやったんだ。ほしたら和尚も「んー」言うて、こうやって考えとって、見とって、龍がこうやってこう元から来て、ずっと根っこ、これまた不思議なことなんだけども、地面にあの頭つけて根っこになってまた出てきたんだよ。んで、龍になったんだよ。で、そういう姿だから、臥龍というふうにそこで付けた。それまでは、大とう寺の大桜って言ってたんだ。大とう寺の村の衆はみんな、当時村だからね。大とう寺の大桜って言ってた。だけどそこで、昭和7年に大勝道泉、20代目の和尚が、「臥龍桜にしようよ」ってことになって以来、臥龍桜になった。由来は、そういうとこなんだ。うん。

ありがとうございます。では次に、桜の木の種類と桜の木の高さを教えてください。
えーと、こりゃ山桜で、あのー山に咲く桜。寿命が長いんだけども、エドヒガンザクラだ。エドヒガンザクラだね。だから、あのー寿命は長いね、だいたい。あのー、駅前にあのソメイヨシノの桜をずっと持ってきて、きれいに駅前、この一之宮は、あの駅の駅前にずっと並べて、あの並木を作ってあるけど、ありゃエドヒガンでない。あのー、ソメイヨシノやな。ちょっとありゃ、寿命が短いけど。これは、エドヒガンザクラで、山桜の一種で、あの寿命は長いね。だから、1100年。ところが、そのエドヒガンザクラで、岐阜県でも、あのー根尾の方にある根尾のなんだ、薄墨桜。有名な。あれが、1500年ほど。エドヒガンで。ここはもうちょっとあの、新しい。もうちょっと新しいったって1000年は経つんだ。1100年。という、だからエドヒガンザクラですね。はい。

高さを教えてください。
高さは、高さはね20mある。もっと高くなっとると思う。これはだいぶ前に測ったやつだから。20m以上はあるね。うん。

はい。ありがとうございます。では、続いて桜の見ごろと、桜を通してのお祭りや行事は行われていますか。
うん。あのー見ごろはね、これもあのー20年ほど前までは4月の26日って、みんな聞くもんだから、私まぁここに住んどるので。聞くもんだから、何日ごろってみんな電話かかってきたり、みんな聞かれる。4月26日って言うと、ぱっと26日に満開になるのよ。うわぁーすごいと思って、私は予言者かなんて思いもせなんだけど、まぁあのーぴったり26日やったの。ところが20年ほど前から、あたりからどんどんはようなって、それがダメな、通用しなくなって、えー今は、20日過ぎやな。22・3日頃。ほんときには、20日の時もあったしね、あのーだから、どんどん早くなってきてるね。満開は。で、ちょうどそれを見込んで、ちょっと遅くなるんだけども、26・7日頃に、あのーここで桜祭りってのをやって、舞台があそこにまぁ丸があるけども、あのーうーん、雪かかっとるけど、みんなあっちへイス向いとるがな、あのあれあそこで、舞台で、あのーいろんな踊りをやったり、あのー歌を歌ったり、よそからいろんな人が来てやったりして、みんなはあの桜祭り見るんだよ。だいたい人数としてはどうやろ、去年もたんと来たんだな。あー、何万人と来るね。述べ。うん。で、その時に、去年から始めたが、この寺で本堂を開放して、山腰ひろしさんという、あのーここにござる、住んどる人で、左手の絵描きさんがおるんだ。これは右利きなんだけども、あのー事故で失くしてから一生懸命、筆であいうえお、かきくけこから始まって、日本画を描くようになった。すごいんだよ。あとでまた見てもらうけども、その山腰ひろしさんの臥龍桜絵展をやった。去年。去年。ほーしたら、これまた六千何百人入ったよ。一週間ほどの間に。うん。で、寺がわんさわんさになっちゃったけども、まぁそういう、あのー行事。来年は、今年も4月にやろうかって話になっとる。2回目。うんうん。まぁ、楽しみにはしとるんだけども。はい。

では、あの山越さんの
ひろしさん、うんうん。

個展をされているっていうことだったんですけど、外ではどのようなことを…
外ではさっき言った、この舞台を使って、歌を歌ったり、いろんな食べ物を売っとったり、そのー、あのー、お地蔵様の向こっかわに空き地があるけど、そこへいろんな出店が出て、おでんやら、あのー何やって、何やらあーうどんやらおいしいものいっぱいみんなで、わいわいと列を作って、みんな食べとる。うんうん。

ありがとうございます。では、桜のお話に
はいはい。

いってみようかなと思うんですけれども、えと、台風でえと桜の木が
うんうんうん。

折れたってお聞きしたんですが、えとー、折れてから守るための対策として、何か行っていることがあれば教えてください。
はい。あのねー、台風の話すると、私は涙が出るくらい、あのーこの桜には可哀そうだなぁと思うんだけども、まぁいずれにしても台風との関係を言うと、あのー簡単に言うと、昭和43年だったか、あの伊勢湾台風があったんだよ。あん時に、あの9月にばぁーっと来て、ここの龍が、あとでまぁ絵見てもらえばわかるけども、大きなあの幹があそこにある。右っ側の奥の。そっから枝がずーっと来て、それが土へ着いて、根っこをつけて顔出したんだよ。ほで、龍のようにわぁーとこりゃまた、百何十年経っとると思うけども、だから今巻いてある木と向こうの木とはつながってたの。で、龍の形しとった。さっきの臥龍、龍が寝とるみたいにな。で、その間が、43年の伊勢湾台風でぽきっと折れちゃったの。だから、二本の桜の木になっちゃったの。で、そうもしとるうちに、このここは田んぼだったんだよ。昔は。ほんでもう、蛇はおるしなぁ、この辺蛇がおったんだよ。蛙やらあのー、もう大変だったんだよ。田んぼ。ほで、
あのーあぜ道を歩きながらのね、ことなんだけども、そのあのー、田んぼ道の中で、あのー桜はそれなりに咲いとったんだけども、この公園を作ってね。平成元年にこの公園を作った。臥龍公園を作った。
(電車の音で中断)
ほで、あのさっきの話が、あのー蛇のおる田んぼがのところを、みんなきれいに臥竜公園を作ったんだ。その時の工事の関係で、今柵をしとるけども、その中の大きな根っこやら、みんなこう切れっちゃったんだよ。工事の関係で。根が切れて、そこへ粘土質のあの、何ちゅうの、こっちの公園の方を作る、あのー粘土質の土もそこへ入っちゃたんだ。ほしたら、呼吸ができなくなって、酸欠を起こしたの。平成元年に。酸欠を起こして、だんだん弱ってきて、平成えーあれは6年ぐらいから、6・7・8ぐらいかけてみんなあの専門家呼んで、国からも県からも。んで、調べたの。そしたら酸欠起こして、根があの死んでまっとると。
(飛行機の音で中断)
それで、あのー酸欠を起こして枯れかけたの。で、私の頭みたいなもんで周りにちょっと白いのが咲くくらいで、真ん中はもう全然枯れちゃったの。咲かなくなったの。で、周りが白―くなったの。でもう、ありゃ1年遅ければ枯れてしまった、死んどったね。うん。もうギリギリのところ。で、そのあと3年間かけて、みんなで土を取り替えた。15cm~20cmのところに毛根があるわけだから、細い白い毛根。だから、あんまり踏めない。で、村の衆が来て、みんな町の衆が来て、手でこうやってあの、ほれ、発掘するときのあれみたいに、こうやってそろそろ土をみんな入れ替えちゃった。そして、良い土を入れて、えーそれから、カドマ土やら、それからあのあれカヤ入れて、セラミック炭というのを36%ここで取れるんだけど、作っとんだけども、この町で作ってんだけど、それを入れて、ほーして3年かかったら、かぁーっと。平成13年の忘れもしないけど、平成13年の夏過ぎた頃やな。もういいだろうって言って、立ち会ってくれて、立ち会った。根が2mぐらい、一生懸命生きてんだよ、毛根が。今生えたのも一生懸命伸びよう、伸びようとしてる。無数、いっぱいいっぱい土の下、15cmくらい下のところにある。みんな立ち会って、涙出したね。ぶわぁーって。んで、やっと助かった。それが1年遅れとったら、もう死んでまっとったとこやね。うん。

はい。ありがとうございます。じゃあ、あの、今あのー桜の木を維持していくためにどのような手入れをされて、はい、維持されてますか。
えーとね、特別まぁ、今国の天然記念物、昭和48年に
(電車の音で中断)
国の天然記念物に昭和48年になってからは、国の管理で、市の管理でやっとるから、私は何もあのーやらないけども、それでも冬になると、なりかけると12月のこの間、去年の暮。12月の17日くらい前後一週間ほど来て、あのー薄ーく土を掘って、ほして土の状況を調べながら、あのーさっき言ったカヌマ土やら、36%あのセラミック炭やら、カヤやらをみんな入れて、7~8人ほど来てずっと詰めて専門家が。あのー手当てしてくれる。それからあのー、あそこの、巻いてあるけども、龍の片一方、首の方の。あのー巻いてあるけども、あーいうものも、取り替えたりなんだりして、手当てしてくれておる。だから、有難い。

はい。
以前はあの、すみません。時間ないとこ、あの、以前はね、私は今から何年前だろうなぁ、あー40年ほど前か。45年ほど前は、あのー、あれだ。10cmくらい寒肥というのがある。寒の肥えをやるという、寒肥という言葉があんだけども、寒肥がいいよって言われて、周りをそれも中じゃダメ。こうやって枝が張っとる、そこまで根が来とるわけだから、毛根が。その枝の下の端っこのところをずーっと三十何mあるけども、あの15cmくらい、10cmくらい勘で、あの氷で堅いところをはぁはぁしながら、二週間くらいかかるけども、あの肥料をずーっと放ってって、5~6年続けてやった。だから、可愛くてしょうがない。この桜。可愛い。こんな1100年の歳の人に可愛いなんておかしいけども、本当可愛い、可愛いだね。うん。

はい。ありがとうございます。では、最後の質問をさせていただきます。地域の人たちにとって、臥龍桜の存在はどのようなものかと感じてらっしゃいますか。
あのー、地域の人はみんなねぇ、あのー今の大じいちゃん、おばあちゃんもそうやし、90歳、それから、今の小学校もそうやけど、ここへ来て、あの誇りに思いながら、桜咲くとニコニコってして、ほっとして帰っていく。咲かないと、あの私は出とると、「和尚さん、なんで咲かないの、今年は」ってえらいあの心配してなぁ、あのくれた。あの一時危ない時に。んー、だからみんなの誇りだし、みんなの命のように思っとるなぁ。大事にしておる。有難いと思う。はいはい。

はい。ありがとうござます。はい。これで、
じゃあ、みんな桜も、あの桜、もう一つ加えると桜は人間の心をよく、みんなその、あの木も草木もわかるけども、特にこの桜は人の気持ちがようわかるんだそうです。亡くなった昔の古老が私に教えてくれたの。お年寄りが。んで、だから、一人でも多く「あぁー、今年も咲いたね」ってニコニコってすると、桜もニコニコって咲いてくれるんだよ。「なんだこの桜は」ってけっ飛ばしにすると、その辺ゴミほったらかしにしていくと、咲かない。人の気持ちがようわかる。だから、どうかみなさん今日も、冬だけれども「よくがんばっとるね」って言って、言葉かけてやってください。はい。どうも。

ありがとうございます。
はい。