(1)縄文時代の遺跡

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(1)縄文時代の遺跡

わたしたちの先祖は大和民族だといわれています。しかし、大和民族がいたころの飛騨地方は交通不便の山国であったため、大和民族の来るのがおくれたり、かくれ住む場所としてもよい土地であった。
 先住民族は、狩りに出たり、魚を取って生活していたため、日当たりや、水の都合(つごう)の良い、しかも水による害の心配のない丘や台地が住居となっていました。
 わたしたちの村では、山下方面の亀ヶ平や問坂、洞方面、常泉寺付近の丘の上が最もよい住居であったようです。その住んでいた時の様子が分かる道具が土中に埋もれていて、数千年後の今日でも多く発掘(はっくつ)されています。
そのころの人たちは、金属の使用を知らなかったので、器具類は、木・石・土・骨・角・貝で作っていました。 石器では、武器として作った石の剣(けん)、石の槍(やり)、石のやじり、石の棒(ぼう)などで、ふだんから使う品としては、石の斧(おの)、石の皿、石のさじなどがあり、かざるためのものや信仰(しんこう)のための石器も数多くあります。

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 また土器は、飲みものや食べ物を入れるのに使ったつぼやビンなど、粘土や型塗り(かたぬり)や土づくねなどで作ったものです。最初、縄文土器(じょうもんどき)といって縄の模様をつけたものが作られたようですが、焼き方が進んで弥生式土器(やよいしきどき)となり、さらに製法の進んだ須恵器(すえき)と変わっていったようです。
 これらの石器や土器は、一之宮町でも数多く掘り出されています。山下方面では大幢寺やお旅山付近、砂畑台地。問坂、洞、日影台地、猪山(ししやま)。現獅子山付近からも出土されています。


※先住民族(せんじゅうみんぞく):先に住んでいた民族のこと。ある土地の歴史の上で、現在住んでいる民族とは違い、先に民族が住んでいた場合、その人々を指します。
※土づくね(つちづくね):手と小道具を使って土器を作ること。最も基本的な技法。
※弥生式土器(やよいしきどき):野焼きする縄文土器と違い、わらや土をかぶせて高温で焼かれるため、少し薄手で硬い。
※須恵器(すえき):ろくろを使い、釜で焼く、青く硬いの器。古墳時代から平安時代にかけて使用されました。

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