(2)両面宿儺
数々の伝説を持つ土地、飛騨は、歴史の起こりも伝説に彩られています。
古代、大和朝廷がその勢力を全国に広げようとしている頃、飛騨高原には独自の文化を持った先住民族が暮らしていました。
先住民族の首領「両面宿儺」は、前後2つの顔を持ち、4本の手で武器を操り、4本の足で走ることができる怪物でした。仁徳天皇の時代、朝廷は何度も飛騨に軍勢を差し向けますが、山地の戦いでは両面宿儺にかないません。そこで、名将・難波根子武振熊命(なにわねこたけふるくまのみこと)を大将にして、朝廷に従わせるために大掛かりな作戦を決行しました。
両面宿儺は美濃まで出て朝廷軍を迎え撃ちますが、負けて本拠地の鍾乳洞(しょうにゅうどう)に逃げ込みます。宿儺を追い詰め、組み伏せた武振熊命(たけふるくまのみこと)は降参せよと言いましたが、宿儺はこれを断って死んでしまいました。日本の歴史を書いた古い本である日本書紀には、このように朝廷に逆らう怪物として描かれる両面宿儺ですが、飛騨地方では民衆を導いた英雄として崇め(あがめ)られています。また神仏を崇め、悪神を退治して飛騨の人々を安心させてくれた恩人として信仰の対象になっています。
例えば、両面宿儺は位山にいた七儺(しちな)という悪い神を退治したと伝えられています。江戸時代に書かれた飛騨の歴史書には、その頭髪は水無神社に奉納され、後に「七儺の頭髪」と名付けられて神宝(じんぽう)になっていたと伝えられています。
飛騨地方の古い寺や神社には、両面宿儺や武振熊命の伝説がいまでも伝えられています。彼は、日本各地の政治がみな中央の王朝にしたがう前の、飛騨の偉大な王であったのではなかったのかと言われています。
両面宿儺の像は、千光寺や善久寺などで見ることができます。
※仁徳天皇(にんとくてんのう):第16代天皇。313年から399年まで天皇でした。ここの日本書紀の話の時代は、400年代という説もあります。
※難波根子武振熊命(なにわねこたけふるくまのみこと):古墳時代の人物。第14代天皇仲哀天皇の妻、神功皇后に仕えた将軍。