琉球王国時代、首里城を起点とした宿道と呼ばれる公道が琉球の隅々までひかれ、王府の発令した布達は番所から番所を経由し、中頭、国頭、また島尻へと伝達された。今回歩く道は尚真王時代に軍用道路として建設された真珠道で、この道は首里城守礼門のわきにあった石門(イシジョウ)を起点とし、シマシービラ(島添坂)、金城坂(現金城町石畳坂)、識名坂を通り真玉橋のイシバーシ(石灰矢橋)をわたり小禄を抜け、那覇港南岸至っている。
詳しくはこちら
|
石門の背後にある森が園比屋武御嶽である。この御嶽は国王が各地を巡航する旅に出る際必ず拝礼した場所であり、また聞得大君が就任するときにまず最初に拝礼した、いわば国家の聖地だった。
詳しくはこちら
|