首里城の城郭内へ入る第一の正門で、俗に「あまへ御門(あまえうじょう)」という。「あまへ」は古い言葉で「よろこび」を意味しており、「歓会」はその漢訳になります。第二尚氏尚真王代(1477~1526)に創建されたといわれるこの門は、中央部に木造の櫓がある。沖縄戦で焼失したが、1974年(昭和49)に復元された。
首里城の城郭内へ入る第一の正門。創建は第二尚氏・尚真(しょうしん)王の時代で、1477~1500年ごろとされ、中央集権化を図る尚真王が、城郭と王都・首里の都市計画を進め、内郭の北側に門を築いて王城の正門としまた。
「歓会(かんかい)」とは歓迎するという意味で、首里城へ招き入れる中国皇帝の使者・冊封使(さっぽうし)などを歓迎するため、この名が付けられた。当時は、歓会門、瑞泉門(ずいせんもん)、漏刻門(ろうこくもん)の3つの門を通り、広福門(こうふくもん)から下之御庭(しちゃぬうなー)へ向かうというのが首里城への正式な道とされ、国王や冊封使などが使用する男性専用の門であった。石造のアーチ門の上に木造の櫓(やぐら)を載せた形式は日本では珍しく、1933年に国宝に指定されましたが、第二次世界大戦で焼失。1974年に復元された。門の左右には、魔除けとしてシーサー(石獅子)が配置されている。琉球名は「あまへ御門(うじょう)」。「あまへ」は「よろこび」を意味する。