石門の背後にある森が園比屋武御嶽である。この御嶽は国王が各地を巡航する旅に出る際必ず拝礼した場所であり、また聞得大君が就任するときにまず最初に拝礼した、いわば国家の聖地だった。王家尚氏ゆかりの島である伊平屋島の神「田の上のソノヒヤブ」を勧請し、祭っている。 もともとは今より広範な森であったが、現在では小学校の敷地となっている部分もあり、残されているのはその一部である。
首里城歓会門と守礼門との間にある園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)がこの御嶽の礼拝所である。 園比屋武御嶽石門は、1519年に第二尚氏王統第3代王の尚真のときに造られた。オヤケアカハチの乱(1500年)で、王府軍が八重山へ出兵したさいに、将の一人であった大里親方に見込まれ首里に連れてこられた西塘という人物により創建されたとされる。
沖縄戦において王城とともに戦禍を被り、無惨な姿となるがのち1957年に復元。さらにそのご旧石門の残欠を再利用しての修復作業が行われた。現在の石門を注意深く見てみると、明らかに摩耗の度合いが異なる部分があるが、このためである。園比屋武御嶽石門は1999年に国の重要文化財に指定され、2000年11月首里城跡などとともに、琉球王国のグスク及び関連遺産群としてユネスコの世界遺産(文化遺産)にも登録されている。
また、西塘によって作られた竹富島の国仲御嶽は、園比屋武御嶽の神を勧請した御嶽である。
園比屋武御嶽石門は、守礼門と首里城歓会門の中間にある。石門と周辺一体の森のことを総称して園比屋武御嶽(そのひゃんうたき)という。尚真・しょうしん(在位 1477~1526年)によって1519年に創建された、築造者は竹富島出身の西塘(にしとう)。園比屋武御嶽は、国王が首里城を出て各地に巡行する祭に安全を祈願した拝所。 また、琉球国最高位神女・聞声大君(きこえおおぎみ)の即位式の際にも最初にここでお参りし、斎場御嶽(せーふぁーうたき)へと向かった。国家行事や祭祀と密着した重要な御嶽、今も祈願に訪れる人が後を絶たない。