白川町が合併した昭和32年は,国際的な食糧生産過剰によって,農産物価格が下落傾向にあった。日本の稲作は貿易自由化で競争が激化するとともに,米離れ現象によって消費が減り,国は減反政策を進め,農地の再編政策を余儀なくされている状況にある。
白川町は,町内全域の圃場整備が完了し,農業組合組織が定着し,大型機械の導入とライスセンターの完備によって集団営業体制がほぼ確立している。圃場は,10aから20aの区画で,水利はパイプラインによる導入がほとんどで,以前には深刻であった水不足も解消され,農道の完備により大型機械の侵入を容易にしている。排水路は,合併処理浄化槽などによる生活排水も可能で,土地基盤整備は,集落の生活環境を大きく向上させたといえる。
更に,田植えが機械化され,優良品種の普及と田植え時期の重なりを解決するためには,稚苗の一括管理・育成が必要であり,昭和47年に閉鎖されていた赤河蚕飼育所を利用して育苗を始めた。その後,「木質バイオマスエネルギー利用施設」が建設されることになり,平成15年3月,水戸野地内に新しく近代的な育苗施設である「JAめぐみの白川水稲育苗施設」を整備し対応することになった。
白川コシヒカリは,標高400~500mの山間部で育てられているため,昼夜の気温差が10度以上ある。稲が生長する最適気温は,25℃前後で,この地域は最適温地域である。また,熱帯夜が多いと食味が悪くなるが,この地域では,ほとんど熱帯夜がなく,食味が良いお米が取れる。森が作り出す有機物の溶け込んだ,その水が流れ込む山奥の田んぼで取れたお米の美味しさは他の田んぼとは別格である。この地域は,尾城山(1,133m)を水源とする佐見川の自然で栄養分が多く含まれた水を使って,作られている。山間部,美濃白川で育てられているお米は,これらの利点が相乗効果をもたらして出来上がる。白川コシヒカリには,尾城山や佐見さざれといった品種があり,尾城山は,佐見さざれと同じ条件で作られたお米ですが,大きな違いは農業・化学肥料を 尾城山は50%以上・佐見さざれは30%以上割削減したお米である。
最近では,天日干しをしている農家が少なくなり,ほとんどが作業効率のいい機会乾燥である。天日干しの作業は,お米を自然の太陽と風力を借りて,ゆっくり乾燥させるため,急激な機械乾燥とは違い,お米がひび割れしにくくふっくら炊きあがる,風味や旨みの増したお米を作ることが出来る。そして,手間暇かける分だけ,生産者の愛情が詰まった美味しいお米が出来上がることになる。天日干ししたお米は自然乾燥で,一斉に均一に乾燥させてしまう機械乾燥とは違い,お米の一粒一粒をみてもよく乾いている状態のものもあれば,そこまで乾燥していない粒もある。そして,それぞれが,総合的に美味しい食感になる。天日干しのお米の美味しさは,格別で銘柄の違いなどは,問題ならないとまで言われる。
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町の総面積は,23,789haで,うち森林面積は,21,047haと総面積の88%を占め,その全てが民有林である。町域の88%を占める山林は,豊かな水を蓄え,清々しい空気を生み,人々が生活するための環境を保つ貴重な資源である。昭和20年代後半から国土緑化が国民運動として展開され,昭和27年頃から山林緑化に対して国の補助金が交付されるようになり,造林事業が推進されるようになった。特に,造林の補助金は,普通の場合よりも20%も高い補助金が交付された。さらに,造林を推進するにあたっては,苗木の確保も大切な事業であった。町では,山林緑化推進事業奨励補助として,苗木1本あたり3円から4円の上乗せ補助を行ったほか,山林自給苗圃を設置した林家に対して,実生と稚苗圃の補助金制度を設けて苗木の自給確保を奨励した。
昭和54年には,森林総合整備事業がスタートして,造林や保育施業に有利な補助制度になった。造林する樹種は,この地域に適している「ひのき」が大半で,ごく一部のところで,「すぎ」「あかまつ」などが植栽された。
長期化している林業の低迷,森林所有者の高齢化や後継者不足など,林家の施業意欲が低下し,最低限の保育施業をしなければ,優良材の生産はもとより森林資源の公益的機能にも支障をきたすことが懸念されている。
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