佐見川は,加茂郡北東端の高峰尾城山に源を発し,吉田・小野・稲田などの谷を集めて,飛保辺りから急流となって上油井で飛騨川に流入している。流域は61。7㎢である。佐見川には,中部電力が現在所有する水力発電所があり,昭和3年12月に運用開始の歴史を持っている。
白川町に電気が登場したのは大正に入ってからである。水力の発電ブームが起き,集落のあちこちに小さい発電所ができたが,やがてこれらの自家発電の規模は地域をまとめるようにして大きくなった。佐見には。大正4年から9年にかけて幾つもの発電所ができたが,大正12年に佐見水力電気が開業し,東白川村の村営発電所から桜峠を超えて受電するようになって,自家発電は発展的に解消した。佐見川の水を利用した佐見川水力は,大正6年の開業で金山町や下原村の一部に送電点灯し,後に菅田村・東村,西白川村の一部までエリアを広げた。なお,この佐見川発電所は,水路で水を導き落差を得る発電形式で,有効落差38。41メートルを築き,自然の力に依ってのみ水の位置エネルギーを得て水力発電をしているので,小規模な水力には珍しい圧力水路を有し,現在も立派に稼働している。
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終戦後の新しい教育法によって,中学校は3カ年の義務教育になり,昭和22年4月各中学校が開校した。開校には,校舎など学校施設が間に合わず,小学校との併設や旧青年学校校舎を借り校舎にしてのスタートになった。開校1~2年後には,校舎の建築,教室の増設をするなど一応の施設は整った。
しかし,小学校との併設校は,運動場も共用という状態であった。また,生徒数は激増し教室はさらに不足して校舎の増改築を迫られた。
このような事態を合併による新町建設計画の中で,中学校の統合が計画された。学校規模を大きくし,近代的な施設の整備によって教育振興を図ろうとするものである。
昭和36年12月町議会において以下の議決がなされた。(一部抜粋)
1。新しく造られる校舎は素朴で,しかも近代的なものとするため良く検討して立派なものを早く造ること。
3。新しくできる学校と統合できない学校との間に不均衡が生じないよう町内のどの学校についても教育水準を高めること。
4。将来は,一町一校として義務教育効果を上げていくのが理想であるから,今後町内の立地条件を改善すること。
佐見中学校は,昭和22年5月上佐見小学校,下佐見小学校に臨時教室を置いて開校する。新校舎を上佐見小野地域内に建設中,「昭和24年3月屋根と骨組みだけの2階部分に急遽床を張り卒業式を挙行。敷地造成や校舎建設に,労力を惜しみなく提供してくれた卒業生たちをねぎらった。」と,町広報による佐見中追憶の記事に記されている。この新校舎は昭和24年8月に完成し授業を始める。
昭和25年1月には,遠距離通学の学生のため,校舎の一部を冬季寄宿舎にして整備したが,4月から待望の定期路線バスの開通に伴い,その後の利用生徒がなくなり,廃止になった経緯もある。
中学校の施設整備は佐見中学校が最後になり,施設の配置など全体構想のもとに,平成2年6月体育館の改築工事に着手,翌3年2月完成した。
校舎は鉄筋コンクリ―造り,瓦葺屋根にステンドグラスがはめ込められた明かり窓の組み合わせがユニークな3階建て,外観は和風建築の趣きを見せている。1階には,町内学校で初めてになるランチルームを設け,将来社会教育に活用できるよう調理室,美術室,コンピュータ室を設置し,隣接の佐見ふれあいセンター,体育館と屋根付き通路で結んでいる。
したがって,職員室を2階にし,普通教室を3階にする斬新な配置になり,町内学校施設整備の最終事業を飾るにふさわしい学校になった。
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