フィンランドの小学校 of フィンランド






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フィンランドの小学校

 実際の授業からフィンランドの教師たちがもっている知識観について考察する.今回の授業アーカイブをした授業を対象に分析を行ってきたため,授業のアーカイブおよび教師等へのインタビューにより得られた知見に基づき考察した.
 今回の授業アーカイブした授業を分析する中で,教師は黒板等を使うことをあまりしなく,児童生徒に”Miksi?(Why?)”という質問をしながら授業を展開していた.日本の教育でよく見られる授業での児童生徒への質問として”What?(これは何ですか)“という質問,即ち児童生徒に「正解」を求めることが多い.その反面,フィンランドの授業の中では,あらゆる場面において” Miksi? (Why?)”という質問を行う.
 これは多様性の中で多様性を生かした集合的な「問題解決力」を子どもにつけるためである.そのような力は,諸個人の意見は異なるという前提で,それぞれの意見の正当性,あるいは理由を理解し,妥協を伴う合意形成を指向する「対話型コミュニケーション」の訓練によって育まれる.
 つまり教師は,生徒たちの論理的思考力を促すことにより,論理的に妥当な分類を生徒たち自身に考えさせる.そして,論理的に妥当であれば,たとえ常識からして間違っていると思われることでも,教師は否定しない傾向がある.このようなフィンランド型の教育だけが,「新しい学力」に対応する教育だとはいえないが,フィンランドの教育の特色の1つである.

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教育目標

 フィンランドの教育目標は,多様性の中で多様性を生かした集合的な「問題解決力」を子どもにつけることである.そのような力は,諸個人の意見は異なるという前提で,それぞれの意見の正当性,あるいは理由を理解し,妥協を伴う合意形成を指向する「対話型コミュニケーション」の訓練によって育まれる.
 つまり教師は,生徒たちの論理的思考力を促すことにより,論理的に妥当な分類を生徒たち自身に考えさせる.そして,論理的に妥当であれば,たとえ常識からして間違っていると思われることでも,教師は否定しない傾向がある.このようなフィンランド型の教育だけが,「新しい学力」に対応する教育だとはいえないが,フィンランドの教育の特色の1つである.

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ICT教育

 2010年2月に,タンペラ市にある小学校を訪問し,3年生の授業を参観した.クラスサイズは約20名であった.その時の授業のテーマは,雷の発生.教師は約45分の授業の中で,「雷の発生」の仕組みや雷の実際の映像などを,電子黒板を使って教室前方のスクリーンに映し出したり,自分で作成した資料をコンピュータからプロジェクタを使ってスクリーン投影しながら説明したり,YouTubeのビデオを,やはりスクリーンに投影して見せたりと,非常に多くの情報を様々なメディアを利用して生徒たちに提供していた.このような授業形態は,一見すると「教える教育」のように見受けられる.しかし,授業後のインタビューで,この教師は,授業では「知識を論理的に説明するだけではなく,実生活の中にあるものと結びつけたり,異なる分野の関連する事柄を合わせたりしている」と述べている.

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授業評価

 生徒たちを競わせないことで有名なフィンランドの教育では,学習内容に関する理解度を問うようなテストが授業の中で行われることは稀であり,通知票のようなものもない.(実際には,何人かのグループ毎にゲーム感覚で回答させている.)また,義務教育課程の終了認定試験のようなものも法律上はない.ではフィンランドにおいて教育や授業はどのように評価されているのであろうか.教師は,大学院修士レベルの教師であるため,自らの教授法に自信を持っており,校長ともいえども教員の授業を評価するようなことを行わない.それでは,誰が授業評価をするかと教員に尋ねると「教員自身と,学習者とその保護者」であるとのことであった.

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知識獲得のプロセス

 知識の元となる,学習プロセスについても,日本の教育とフィンランドの教育とでは考え方が異なる.児童たちから切り離された正解として知識を捉える日本では,学習のプロセスは,その正解である知識を裏付けるものである.一方,フィンランドの教育では,学習のプロセスは,主体である児童がアクセスできるすべてのリソースである.そのリソースには,自然や実験だけでなく,教科書も,教師も,インターネットも,すべて含まれる.そうした多種多様な状況を知覚することでさまざまな「情報」を児童は獲得する.そしてその「情報」を児童のもっている知識によって認識することで「表現」がなされる.例えば,雷の学習において,その発生のメカニズムとその対応を,様々な情報を示しながら体験的に学習することが求められている.