飛騨高山は遥か昔から山々に囲まれた地であるため、古来より木工が盛んな場所として伝わっています。「飛騨の匠」とも呼ばれるこの地域の木工技師は、優れた技能を持っているとして、古くから語り継がれています。
 
その最たる例として、奈良時代には律令国家の時代にはその匠の技術を買われ、飛騨国のみが課せられた「匠丁」という税が挙げられます。これは、米や布を納める税を免除する代わりに、寺社仏閣を建てるための人員を飛彈国から出すように、というものでした。
 
また、日本最古の歌集である、万葉集にも飛騨の匠が出てくる歌があります。
 
かにかくに 物は思はじ 飛彈人の 打つ黒縄の ただ一道に(11巻2648)
(現代語訳:あれこれと浮気はしません、飛彈の匠が打つ黒縄が一直線であるように、一筋に道を行きます)
 
この歌は、飛騨の匠が黒縄で付けた真っ直ぐな線と、作者の真っ直ぐな恋心をかけたものとなっています。このように、飛騨の匠は真っ直ぐな線を引ける腕の良い職人だと、都の人々も考えていたようです。
 
 
飛騨の匠の技術は、今日まで受け継がれています。
例えば飛騨の伝統工芸品である飛騨春慶塗りや一位一刀彫などは、国の伝統工芸品に指定されていて、今でも高品質の製品として取引されています。
また、江戸時代の職人の技術が生きる高山祭の屋台は、国の重要民俗文化財に指定され、祭りは例年観光客で賑わっています。
他にも「飛騨の家具」はブランド化し、日本だけでなく海外でも人気を博すほどとなっています。
 
このホームページでは、それらの飛騨の匠の技術の一部を紹介するため、制作されたものです。