飛騨の一位一刀彫に関わる人物について説明します。


松田亮長

(1800-1871.3.14)
 一位一刀彫の大成者。高山下向町出身。
幼少の頃より彫刻が好きだった亮長は、京都、奈良、江戸を始めとした日本中の寺や神社を巡り、彫刻の研究をしたと伝わっています。
亮長はよりリアルな作品を作るために、飼っていた蛙の観察をしながら、写刻したと伝わります。そのためカエル、ヘビ、亀の作品は多く残っています。

平田亮朝

(1809-1847.3.16)
江戸時代、江戸で活躍した高山出身の根付師。
亮朝は若くして当時江戸で最も著名だった彫刻家・山口友親の弟子となり、江戸で根付彫刻師として活躍しました。浅草橋の近くに住み、「日野屋」という人気の小間物問屋お抱えの根付師として活動しましたが、38歳でこの世を去りました。
亮朝の弟子に、一刀彫の大成者である松田亮長がいます。亮長は亮朝から学んだ技術をもって一刀彫の手法を確立しました。直接一刀彫の起源に関わったわけではありませんが、亮朝もまた、一刀彫の生みの親であると言っても過言ではないでしょう。