飛騨春慶に関連する人物ついて解説します
金森宗和
(1584-1656.12.16)
金森宗和は、高山藩初代藩主である金森長近の孫であり、宗和流茶道の開祖である人物です。
春慶塗の誕生に関わり、飛騨春慶と命名したのも彼であると伝わっています。
始めは古川の増島城にいましたが、慶長19年(1614)大坂冬の陣において従軍を拒否したため、金森家とは縁を切って京都へ行きました。京都では大徳寺の僧侶について出家。その後、茶道に没頭し、宗和流を起こしました。
高橋喜左衛門
高橋喜左衛門は飛騨春慶塗りにおける木地師の祖にあたる人物です。
金森家が多くの寺社仏閣を建立した際に召し抱えられ、金森可重の命で多くの神社造りに関わりました。
成田三右衞門義賢
成田三右衛門義賢は金森家の御用塗師であり、飛騨春慶塗における塗師の祖にあたる人物です。
彼は大坂出身で、幼少時を京都の悉皆問屋で暮らします。 その時期に、問屋に出入りしていた塗師から、漆塗りの技術を学びました。
義賢が金森家に仕え始めたのは慶長10年(1605)のこと。以降、金森家のお抱え塗師として働き始めます。金森家に仕え始めて一年、慶長11年(1606)に鳥かごを、翌年12年に高橋喜左衛門の作った蛤型の盆を透漆で塗り、これが春慶塗の始まりになったと伝わっています。