旧吉真家とは?
旧吉真家とは、元々は吉城群小鷹狩郷角川村(現吉城郡河合村角川)に建っていた茅葺き民家です。安政5年(1858)に起きた巨大地震・角川地震で多くの建物が倒壊する中、倒れることなく耐えたという歴史を持っています。
現在は飛騨民俗村飛騨の里に移築され、見学できるようになっています。
歴史
旧吉真家は安政5年(1858)の飛越地震の後、当時の当主だった礎左ヱ門が半壊した家に代わり購入し移築したものです。
建築
雪国ならではの、どっしりとした土台や太い柱や梁、桁が特徴的です。これによって、上記の地震の際も梁が一本折れるだけという被害だけで持ちこたえることができました。
左右側面の四隅に立つ柱は、上部が二股になったむかい柱(のぞき柱)と呼ばれ、全国でも飛騨の一部だけに見られる地域色の強い造りになります。
屋根は独特な形をした茅葺き入母屋造で、破風からの明かりとりがあるため、2階でのカイコの飼育などの作業に適しています。また、破風のたちあがりが外側に傾斜しているものは横から見た屋根の形が歌舞伎忠臣蔵にでてくる定九郎の髪型に似ていることからその名で呼ばれることがあります。
内部は、板の間にイロリがある「オエ」(今いう大広間)が暮らしの中心にあり、畳敷きの「デイ」と「ネドコ」(居室部)があります。反対側に作業場であり炊事場でもあった「ニワ」と馬をつないだ「マヤ」があるという三つの構成になっています。
写真
〒506-0055
岐阜県高山市上岡本町1丁目590番地 飛騨民俗村構内
(旧所在地 大野郡荘川村下滝)