高山陣屋とは

高山陣屋とは江戸時代、飛彈が幕府の天領地になっていた頃、江戸から来た代官や郡代が陣屋として使い、明治以降の時代にも高山の政治の中心となった建物です。
江戸時代の陣屋が残っている場所は全国でも高山だけです。

歴史

元禄5年(1692)、当時飛騨高山を納めていた金森頼峕が出羽に移封され、飛彈は幕府直轄の領地・天領になりました。それ以来、明治の時代がやってくるまでの約180年間、飛騨の地は江戸から来た代官や郡代によって治められることとなりました。12代目の代官のときに、美濃、加賀、越前の一部も治めるようになり、代官から郡代となりました。
初代代官は伊奈忠篤という人物です。彼が飛彈国における政治の中心地を高山に定め、高山陣屋を建てました。
高山陣屋で政務を行った代官の中には、今でも功績が分かる人物がいます。
例えば五代目の亀田三脩(かめだみきなが)は植林を勧め、荒廃した飛彈の山の復興に一役買ったと伝わっています。また、七代目の長谷川忠崇(はせがわただたか)は、歴史書「飛騨志」の編纂を行いました。八代目の幸田善太夫高成(こうだぎだゆうたかまさ)は、初めて飛彈に馬鈴薯を持ち込み、この栽培を奨励しました。高成が奨励した馬鈴薯は「義太夫芋」と呼ばれ、食糧源として重宝されたと伝わります。

境内写真

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岐阜県高山市八軒町1-5