起源
高山祭の正確な起源を記す文献は未だに見つかってはいませんが、承応元年(1652)四代目将軍徳川家綱の時代にはあったという記録があるため、江戸時代初期・金森家が治めていた頃に始まったと考えられています。
屋台の起源は享保3年(1718)。高山陣屋の役人が記した「高山八幡祭行列」という資料に、屋台4台、笠鉾2台を含む48の出し物によって行なわれていたと記されています。しかし、それらの屋台は今の物とは違った趣のものであったと考えられます。
高山祭の屋台が今のような豪華絢爛なものになったのは、文化・文政(1804~1830)の頃です。
金森家の初代、金森長近がもともと京都に憧れを持っていたため、城下町には京風の文化や品物が繁栄していました。しかし元禄5年(1692)に、金森氏が飛騨から去ったため、飛騨は幕府の天領となり、江戸の文化が多く入ってくるようになります。
その結果、江戸の粋な文化と、京都の雅な文化に、飛騨の匠の技術が合わさり、高山独自の文化を築き上げることとなりました。