春の高山祭「山王祭」の屋台を解説します。春の屋台は全部で十二台あります。

①神楽台(かぐらたい)

神楽台上一之町上組の屋台。
御巡幸において、屋台行列を先導する役割を持っています。屋台には金の鳳凰で飾られた直径118センチの大太鼓があり、小太鼓や笛で囃子を奏でる五人の楽人を乗せて移動します。曲は「場ならし」や「高い山」など多数。
嘉永7年(1854)に改修され、今の形になったと伝わります。彫刻は谷口与六の作。

②三番叟(さんばそう)

三番叟上一之町中組の屋台。
山王祭でのからくり奉納に使われる屋台の一つです。三番叟とは、能の祝福舞「式三番」において三番目に登場するため、この名前が付けられています。からくり奉納では、浦島の曲に合わせて舞う童が、一瞬にして翁に姿を変えるという仕掛けを見せます。
現在使われている人形は四代目で、大正時代に京都で作られたものです。

③麒麟台(きりんたい)

麒麟台上一之町下組の屋台。
この屋台に見られる谷口与鹿の「唐子群遊図」は、一本のケヤキの木から「遊ぶ童子たち」「籠の中の鶏」「動く鎖をあしらった犬」などを彫ったもので、高山祭の優れた屋台彫刻の中でも特に傑作だと言われています。
谷口与鹿による動く鎖をあしらった犬の彫刻

④石橋台(しゃっきょうたい)

上二之町上組、下神明町西組の屋台。
からくり奉納を行う屋台の一つで、牡丹の花を手に踊る美女の打掛がまくれると、中から獅子が出て舞う、という仕掛けがあります。名前の由来は、からくり人形が長唄の「石橋物」を題材として作られたためです。
明治25年に、女性の打掛けがまくれるのは風紀上好ましくないと中止されましたが、昭和59年に復活しました。

⑤五台山(ごたいさん)

上二之町中組の屋台。
屋台を動かす車は京都御所御用車を作った中川万吉、飛獅子の彫刻は幕末の左甚五郎とも呼ばれた彫刻家・立川和四郎、獅子と牡丹の描かれた刺繡幕は江戸時代の有名な画家・円山応挙の下絵、見送り幕は明治時代に活躍した日本画家・幸野楳嶺の原作と、著名な職人の技術が詰まった作品です。

⑥鳳凰台(ほうおうたい)

上二之町下組の屋台。
屋根にそそり立つ高さ237センチの鉾と、古く、オランダから渡ってきた貴重な赤・黒・黄の毛織りの竪幕が特徴的です。

⑦恵比須台(えびすたい)

上三之町上組の屋台。
彫刻は谷口与鹿の制作したもので、中でも妖怪である手長・足長や、人間の十面相を模した獅子彫刻が、他の屋台にはない個性的な特徴になっています。

⑧龍神台(りゅうじんたい)

上三の町中組の屋台。
山王祭でからくり奉納を披露する屋台の一つ。奉納では、唐子が持つ壺から龍が現れ踊りまわる、能の「竹生島」を題材にした舞を披露します。
龍神台という名に相応しく、屋台の飾りはすべて龍をあしらったものになっています。

⑨崑崗台(こんこうたい)

片原町の屋台。
宝珠、屋根の飾り、唐子の衣装と、金を基調にした装飾物が多くあります。名前は中国にある金の産地、崑崗に由来しています。

⑩琴高台(きんこうたい)

本町一丁目の屋台。
鯉が泳いでいる緋幕や、鯉の彫刻など、鯉をあしらった意匠が特徴的な屋台です。
名前は周時代の中国にいた、琴の名手で鯉に乗りこなしたという琴高仙人に由来しています。また、琴高仙人の彫刻は同じく飛彈の匠が手掛けたという日光東照宮にも存在しています。

⑪大國台(だいこくたい)

上川原町の屋台。
施された装飾もさることながら、屋台を曳く際に、屋根が前後左右する様が美しいという特徴を持つ屋台です。祭神は大國天。
御巡幸における屋台の順番は、毎年くじによって決められていますが、大國台の順番が早ければその年の米価が高く、遅いようならば安いという伝承があります。

⑫青龍台(せいりゅうたい)

川原町の屋台。
高山城の天守閣を模した屋根が特徴的な屋台です。また、全屋台の中で唯一の入母屋造りであり、全屋台の中で最も大きいという特色があります。棟には金の鯱が飾ってあります。
江戸時代初期に国主であった金森氏が日枝神社を特に大切にしていたため、日枝神社の重要地区にあった川原町組は「宮本」と呼ばれ、金森家の代行として催事を主催することができました。この特権は明治28年に宮本が輪番制になるまで続いたそうです。

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