秋の高山祭「八幡祭」の屋台を解説します。秋の屋台は全部で十一台あります。

①神楽台(かぐらたい)

八幡・桜町の屋台。
御神行の際には屋台の上に楽人が乗り、太鼓や笛を奏でながら他の屋台を先導する役割を持っています。
金の鳳凰が乗る大太鼓と、天照・八幡・春日の三柱の神を象徴する華やかな幣が特徴的です。
大太鼓は国主であった金森重勝に寄進されたもので、他の組からそれを妬まれ、鎌で切り付けられたことがあると伝わっています。

②布袋台(ほていたい)

下一之町上組の屋台。
八幡祭において唯一からくり奉納を披露する屋台です。樋の先端に立った布袋人形の肩の上へ唐子人形が綾渡り(大車輪)で飛び乗り、肩の上に唐子人形が乗ると、布袋人形が左手の軍配を振り、「和光同塵」と書かれた幟が出るという仕掛けになっています。

③金鳳台(きんぽうたい)

下一之町中組の屋台。
武器を持った神功皇后と、まだ赤子である応神天皇を抱いた竹内宿禰の飾り人形が特徴の屋台です。
享保3年(1718)の祭りにも使用されたという伝承や、天明年間(1781-1789)の祭りに曳行されたという記録もあり、高山祭の屋台の中でも特に古いものだと考えられています。

④大八台(だいはちたい)

下一之町下組の屋台。
直径1.56メートルもある黒塗りで金具付きの御所車が特徴の屋台です。御所車は大八車とも呼ばれるため、屋台の名前は大八台となりました。
屋台囃子の「大八崩し」はこの組の「大八曲」を編曲して作られたものです。

⑤鳩峯車(きゅうほうしゃ)

下二之町上組の屋台。
この屋台の最大の特徴は、他の屋台にはない、四方を飾っている見送り幕と綴錦織です。前面の綴錦織には雲の中の龍が、側面には明人遊苑図が描かれています。中国が明の時代だったころに渡ってきた見送り幕には、中国の人物が描かれています。

⑥神馬台(じんまたい)

下二之町中組の屋台。
屋台の上にいる白馬と二人の白丁人形。そして、側面に描かれた般若や、突き立てられた青龍刀などが特徴の屋台です。
かつては祭りのときに他の組のものに屋台をぶつけ、ケンカを売ることが多かったことから、「暴れ馬」と呼ばれていたと伝わります。

⑦仙人台(せんにんたい)

下三之町上組の屋台。
全屋台で唯一の、唐破風の屋根になっている屋台です。かつては殆どの屋台が唐破風であったと伝わっていますが、今はこの仙人台のみとなっています。
祭神として上段に祀られている仙人の人形や、屋根の上の剣巻竜が特徴的です。

⑧行神台(ぎょうじんたい)

下三之町中組の屋台。
密教の法具五鈷(ごこ)や、朱塗りの玉垣のような、他の台にはない意匠が特徴的です。また、材料に栗を使っている屋台はこの行神台のみとなっています。
上段には祭神として役小角(えんのおづの)が祀られています。役小角とは修験道の祖であり、かつてこの地域が彼を崇拝する人物によって開拓されたため、祭神とされています。

⑨宝珠台(ほうじゅたい)

下三之町下組の屋台。
屋台の名前の由来にもなった、屋根の上に三つ並ぶ大きな宝珠と、雌雄一対の亀が特徴的です。
朝起きると屋根の上の亀がいなくなっており、探し回ったところ、亀は宮川の水の中にいて、その近くには「名工の作った亀は水を求めて川に入る」と書かれた立て札があったという伝え話があります。この騒動は他の組のいたずらだったそうです。

⑩豊明台(ほうめいたい)

大新町一丁目の屋台。
屋根の上にいる大きな鳳凰や、十二支、唐獅子、菊の花の彫刻が特徴的な屋台です。
名前の由来は応神天皇の御幼名である豊明宮。応神天皇とは八幡宮の祭神であり、金鳳台にいる神功皇后の子でもあります。

⑪鳳凰台(ほうおうたい)

大新町1・2・3丁目の屋台。
谷口与鹿の下絵がもとになり、与鹿とその弟子・浅井一之による彫刻、谷越獅子はすべての屋台の中でも最大級の規模を誇っています。多く使われている金具と、綴錦織の見送り幕が華やかな屋台です。

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